変化のない僕

 今日の僕は、とっても幸せ。天気が良くて、こっそり忍び込む屋上の空気もからっと乾いて、レモン型の雲を浮かべた空が炭酸飲料のCMみたいに爽やか。その真ん中で、きらきら光る太陽はまるで日野さん。でもきっと太陽だって、日野さんの前じゃ彼女を照らすスポットライトにしかならないから、これはあくまでも喩え。
 今日はお昼までに持ってきたお弁当を食べちゃったから、購買のコロッケパン。これが意外と美味しくて、ちゃんとお弁当がある日もついつい手が伸びてしまったりする。かさかさとビニールの音すらも、この景色の中ではひとつ美しいもののようにすら思えて、僕はちらりと傍らを見る。
 可愛い膝にお弁当を広げて、うきうきと花の描かれた箸を取り出す日野さん。太陽のスポットライトで、亜麻色の髪がきらきら光る。風が悪戯に踊らせる前髪を、鬱陶しそうに払う桜色の爪先が光を反射して艶やかだ。
 そう、今日の僕は幸せなんだ。天気は良くて、暑くも寒くもない。何より隣に日野さんがいて、僕と二人でお弁当を食べてる。これ以上ない幸せだ。
「えへへ」
「加地君、嬉しそうだね」
「うん。今日の僕は最高にラッキーだからね」
「コロッケパン買えたし?」
「それもあるね」
 他にあるの? そう小首を傾げた日野さんに、天気も良いしね、と言い訳みたいに返す。日野さんは僕の焦りに気付かずに、そうだねと空を見上げた。
 日野さんは本当に可愛い。僕が今まで出会ったどんな女の子より、テレビで見る女優やアイドルより、誰より可愛い。無邪気な仕草はいつも僕の心臓を震わせるし、僕は赤くなりそうな顔やつい逸らしたくなる視線をどうにかするので精一杯だ。
 最初は音だけを追い掛けてきたはずなのに、普段の日野さんが普通の、普通よりずっと可愛い女の子だったから、いつの間にか、憧れが転んでしまった。いや、憧れを持ったまま、新しく、好きになってしまった。もしかしたら音色を聴いて、姿を捉えた瞬間から、恋に落ちていたのかもしれないけど。
 勿論、僕なんかが日野さんにつりあうなんて思ってはいない。僕が日野さんと対等になるには、足りないものが沢山ありすぎる。僕は日野さんに貰うばかりで、日野さんにしてあげられることがあまりに少ない。
 だから僕は、いつも考えてる。僕に足りないものはなんだろう、足りない僕は日野さんのためにに何ができるんだろう。答えなんて、出たためしがないんだけど。
 だけど、今、日野さんが僕の隣で笑ってるから、今はそれだけでいいかな。僕の言葉で、日野さんが笑ってくれるから、最高に幸せ。このままの僕でいいのかな、なんて、つい思ってしまうくらいに。
 だってほら、今日はとっても良い天気だし。少しくらい、太陽の熱に浮かされて、自惚れてみても、いいよね。
「あ、その卵焼き美味しそう」
「あげないよー。残念、加地君のお弁当があったら、交換できたのにね」
「じゃあ、明日はちゃんと残しとくよ」
「そんなに?」
 日野さんがお箸を持ったままくすくす笑う。僕もつられて、笑う。
 空にはまんまるの太陽。その光が照らすのは、いつも日野さん。亜麻色の髪がきらきら流れて、一筋々々がガラス細工みたい。
 いつも考えてる。僕が日野さんに何ができるのか、日野さんに何をあげられるのか。こんな僕でもなにかできればいいと思うから。
 でも、ま、ほら。今日はこんなに良い天気で、太陽が眩しくて、空は青くて、雲は少し崩れたレモン型で。何より隣で日野さんが笑ってるから。今日だけはほら、今のままの僕でいいかな、なんて。