ドッペルゲンガー

 千尋はいつも太陽みたいに明るくて、朗らかで、千尋が笑うだけでまわりまで幸せになる。きっと千尋には生まれつき、輝きを秘めたなにかがあるんだと思う。明確それがなんなのかは分からないし、僕はわからなくてもいいと思っているけど。はにかんだ笑みも、照れた笑いも、満面の笑顔も全てが愛おしくて、隣に居られるだけで僕まで幸せになれる。そんな光を、千尋は持っている。そして、惜しげもなくそれを降らす。兵達が言っていた「姫様は希望の光」という言葉は、あながち間違ってないんじゃないかと思う。
 優しい千尋。真っ直ぐな千尋。強い千尋。純真な千尋。千尋も暗い部分だって、人並みに持ってはいるさ。だけど、その暗い部分すらもいつしか光に変えてしまえる。未来しか見ない、空を固めて丸くしたような青い目。だからこそ、きっと僕が傍にいるんだと思う。
 千尋は疑うことすらなくすぐに人を信じる光のような人だから、その灯火を消させない為に守人が要る。大きな光が消えてしまえば、それに寄り添っていた小さな光の粒も、影すらも消えてしまう。それを守るためのなにかが要る。そして光の傍らには、必ず影があるものだ。
 僕は目の前で談笑している兵の数人の背に蹴りを食らわせ、勾玉の連なる僕の武器を握った。中つ国の鎧を着た、数人の兵士。きな臭いとは思っていたけど、当たりだった。まぁ外れたことがないから、今回も当たりだろうと思っていたんだけど。
 兵士たち、いや、常世のスパイたちももう無理だと思ったのか、瞬時に剣を構えた。でも、もう遅いんだよね。やるならもっと上手くやればいいのにね、馬鹿なやつらだ。
「僕の目が誤魔化せるとでも思ったの? あんたら、臭いよ」
 普通の人は、きっと光と闇の両方の面を持っているんだと思う。その時々で光の面が出て来たり、闇に流されたりする。でも、きっと千尋は純粋な光。時たま影が出来たとしても、すぐに光に塗り替えられる。じゃあ、千尋の分の影はどうなる?  答えなんて簡単。なら僕が、千尋の影になればいい。千尋の隣で、光の傍らに必然的に存在する影になる。千尋の暗い部分を全部受け取って、穢れすら飲み干して、僕が千尋の分身になる。
 僕の術に切り刻まれた男が大地を血に染めて崩れる。呆気ない、抵抗の一筋すら、僕を掠めることなく、軽やかな金属音をたてて地面に転がった。ざまぁみろ。千尋をどうこうしようなんて考えるから、こうなる。
「あー、取れない。くそっ、あの男、もし千尋に気付かれたらどうしてくれるんだよ」
 袖口に付いてしまった返り血を擦り、死体は捨て置いたまま千尋を探す。死体の始末は通りかかった下っ端の兵士に、適当に埋めておくよう言っておいたから、そのうち片付くだろう。ついでに血も掃除していてくれると助かるんだけど、そっちは放っておいても柊あたりが手配すると思う。
 そういえば、前に柊に見つかって、すごい苦い顔をされたことがあった。仕方が無いですね、なんて言いながらも、片付けの手配は全てやってくれたから、僕の行動を諌める気は毛頭ないんだろう。
 それより、今は千尋を探さなきゃいけない。まだ仲間がいるかもしれない。仲間が殺されたと分かれば、今すぐにでも千尋に危害を加えるかもしれない。もしも千尋の傍に誰もいなかったら、いたとしても役に立たないやつだったら、そう思うと自然と足は速くなっていた。
(それだけは、許さない)
 指一本も触れさせない。髪一筋すらあげない。僕の光は奪わせない。光がなけれ影は存在できないんだから、千尋がいなければ僕は消えてしまう。存在はあっても、きっと僕の存在する意味とか、理由とか、そういうものが全部消えてしまうから。
 早足で歩く。まばらな人の間に、あの金色の髪が見えないか探すけど、どうにも見つからなくて、僕は苛々と舌打ちをひとつ零した。
 不意に僕を呼ぶ声。探し求めた声に振り向けば、千尋が手を振りながら走ってくるのが見える。高い位置で纏められた髪が、いつもと同じに揺れている。僕は思わず、安堵に小さく、千尋にバレない程度に息を吐いた。肩の力が抜けていくのがわかる。
 僕が軽く腕を広げると、走った勢いのままに千尋が飛び込んでくる。千尋くらい、ぶつかっても痛くも痒くもない。そういうことを分かっているから、千尋も勢いを殺さず飛び込んでくる。僕には遠慮がない、千尋のそういうところが、痒くて、でも嬉しい。
「那岐!どこ行ってたの。探したんだよ」
「ごめんごめん、ちょっとね」
 僕の手を引いて、カリガネの新作の菓子がどうとか、楽しそうに話す。カリガネの菓子なんて僕にはどうでもいいけど、千尋が笑うから僕も笑う。千尋の嬉しそうな顔を見ると、僕まで嬉しくなってしまう。だから、というわけではないけど、千尋はずっと笑っていればいい。
 千尋は無邪気なままで、美しいままでいい。千尋を襲う闇は全部、僕が受け持つ。千尋を害すものは僕が遮る。そして保たれた日常の中で、千尋が、ちょっとでも僕の為に笑ってくれたらそれでいい。それで、僕の行動した全てや、僕の思うこと全てが満たされると思うから。
 千尋は知らなくても、僕と千尋は表と裏。光と影。合わせ鏡のように、限りなく似た別の存在。 千尋は僕の光。僕は千尋の影。
 僕らは果てしなく同じ姿をした異質の存在。同じであるのに、決して世界を共有出来ないドッペルゲンガー。僕の本質を見た瞬間、保たれている僕と千尋の平穏は割れ、それを千尋が受け入れられなかったとしたら、僕の存在は消えてしまうだろう。僕と千尋が出会った瞬間、今の世界は壊れてしまう。
 決して千尋に触れられなくても、僕はそれでもいい。千尋が笑っていて、千尋の世界の片隅に僕がいればそれでいい。千尋の頬に触れたくても、手を伸ばせば壊れてしまう。それでも、僕は千鶴の影でありつづけるんだ。それだけが、僕の望みなんだから。