共犯者

 罪悪感に囚われて脱け出せない彼女を、彼は知っていた。国のためにと虚言を吐いていることも、彼女とその母王以外に彼だけは知っていた。それ以外の秘密ならば全て共有してきた、もう一人の親友でさえも知らない、彼だけが知る彼女の秘密だった。
 いつかの日、彼女は長い睫毛に涙の粒を光らせ「赦してなんて言う資格はないの」と泣いた。夕陽に輝く葦原の髪と、突き抜ける空の目を持つもう一人の姫を思い「本当は涙を流す資格だってないんだわ」と沈鬱な声色で言ったのだ。それは決して遠いいつかの記憶などではなく、振り返ればすぐに見えてしまう、足跡の見えるくらいの日々の中のことだった。
 羽張彦はいつかの日と同じ様に小さな姫の身体を抱き締めた。痛みを忘れる事が出来ない彼女を、羽張彦は愛しげに抱き締めた。繰り返してきたそれは、滑らかに、迷い無く行われる。事務的な、機械的な、しかし愛情に溢れた抱擁に一ノ姫は縋りついた。
 ぼろぼろと落ちる涙が羽張彦の胸を塗らすが、そんなことには構わずに、長い黒髪に指を通して、その小さな頭を掻き抱いた。 「私、民に嘘を吐いてるわ」
「うん」
「私を慕ってくれるあの子にまで、酷い嘘を吐いてる」
「うん」
「本当は龍の声なんて、聞こえたことない! 母様も、きっとないんだわ! あの子は正しいのに、間違っていないのに、何故私は嘘を吐くの!? 何故私でなくあの子があんな扱いを受けなきゃならないの!? あの子はただ、純粋なだけよ……なのに私は、私は……!」
 涙に濡れた一ノ姫の頬を、羽張彦はそっと撫でる。くしゃくしゃに顔を歪めた一ノ姫は縋るように羽張彦、と男の名を呼んだ。羽張彦は小さく微笑んで一ノ姫を抱き締める。
 名前を呼ぶ声に、うん、うんと何度でも頷き、宥めるように髪を梳く。普段は年齢不相応なくらい大人びた聡明な彼女が、時折こうして狂ったように涙を落とすのを、この広い国の中で羽張彦だけが知っている。故に、彼女の宥め方も、落ち着かせる言葉も、仕草も、羽張彦は熟知していた。
 これから、彼は嘘を吐く。何十回と塗り固めても、彼女と同じように罪悪感は消えてはくれない。それでも、羽張彦は嘘を吐く。姫の為、自分の為、ひいては国の為と言い聞かせ、唇は虚無を紡ぐ。
「大丈夫だ、お前は正しいよ。お前まで龍の声が聞こえないと言い出したら、民は不安になるだろう? だから、正しい。泣くことなんてないんだ」
「羽張彦……」
「あの子の分まで、お前が神子を演じなきゃならないだろ? だからほら、もう泣くなよ」
「……うん、そうよね。私があの子分まで頑張らないと。ありがとう、羽張彦」
 一ノ姫は羽張彦の背に白い腕を回し、二人は互いの嘘を抱き締めた。気付かないふりを繰り返して、優しい虚言の海に溺れていく。そこから脱け出す方法も分からないまま、二人は時間と共に水嵩を増す海に溺れていく。
 秘密を隠して、嘘を塗りたくった笑顔で、明日には姫も男も笑っているだろう。共通の親友の前で、一ノ姫の妹姫の前で、彼女の従者の前で、一ノ姫を神子と慕う民の前で、流麗な弧を唇に描き、形の整った目を細め、白く細い喉を震わせて笑うのだろう。
 嘘で汚れていく自分を正当化して、清純を失わないかの姫を密かに羨みながら、これからも笑って生きるだろう。
「もし、叶うなら」
「なに?」
「あの子だけは、私を赦さないで欲しいわ。醜い姉と謗ってくれれば」
「でも、あの子はしないさ。そういう子だろう?」
「ええ、そうよ。だから、叶うならなのよ」
 一ノ姫は強く強く羽張彦の背を抱いた。沈んでいく自分を感じながら、まだ嘘に溺れる自分を小さく嘲った。